孫正義

実業家 / 社長 / 投資家 / ソフトバンクグループ株式会社代表取締役会長兼社長 / ソフトバンクグループジャパン株式会社代表取締役 / ソフトバンク株式会社取締役会長

有名人 第三者編集
給料: 想定年収 20900万円
資産: 想定資産額 455億USD
年齢: 1957年8月11日 (67歳)

佐賀県鳥栖市出身。東京都港区在住。日本では柳井正に次ぐ資産家であり、2020年のフォーブス長者番付で世界56位、日本2位。保有資産額は、2020年5月時点で、227億米ドル(約2兆4184億円)。

アイコン画像の引用:twitter

孫正義の生い立ち・経歴・年表

  • 1957年
    1957年8月 0歳

    佐賀県で誕生、4人兄弟の次男

    在日韓国人実業家の二男として佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落に出生。4人兄弟であった。いわゆる通名は「安本正義」。
    なお、孫は自身のTwitterで、自分が日本に帰化していることに言及している。

    孫は佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落で幼少期を過ごした。豚や羊と一緒に生活する非常に貧しく不衛生な場所であったが、「今だから言えるが密造酒も家で作っていた」と佐野眞一のインタビューで述べるとともに、父親の三憲が密造酒製造販売と消費者金融・パチンコ業で大成功し、長じてはパチンコ店数十店舗を所有し、高級車を何台も保有するほどの裕福な時期もあったことも明らかにしている。

    北九州市八幡西区相生町に転居後、北九州市立引野小学校に入学。

    貧乏 密造酒 在日韓国人 在日 消費者金融 パチンコ業 裕福
  • 1970年
    1970年4月 12歳 (中学生)

    北九州市立引野中学校に入学

    北九州市立引野中学校に入学。
    福岡市に転居して福岡市立城南中学校に転入。

    北九州市立引野中学校 北九州
  • 1973年
    1973年4月 15歳 (高校生)

    久留米大学附設高等学校に入学

    久留米大学附設高等学校に入学。
    高校時代、友人を介して知り合った衆議院議員で元防衛大臣の岩屋毅とは将来を誓い合った仲である。

    久留米大学附設高等学校
    1973年8月 15歳 (高校生)

    アメリカへ短期留学

    高校入学後、家庭教師に薦められた司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を愛読し、脱藩に憧れて渡米を決意し、夏休みを利用して米国カリフォルニア州にて語学研修のため4週間の短期留学。

    短期留学 留学 アメリカ 海外留学 カリフォルニア 語学研修
  • 1974年
    1974年2月 16歳 (高校生)

    高校中退、サンフランシスコに渡米

    1974年に久留米大学附設高等学校を中退し、2月に渡米し米国ホーリー・ネームズ・カレッジ(英語版)の英語学校 (ESL) に入学し、サンフランシスコのセラモンテ高等学校2学年に編入学。
    3年生、4年生へと飛び級し、高校卒業検定試験に合格したため、3週間で退学、翌1975年にホーリー・ネームズ・カレッジに入学した。

    飛び級 渡米 サンフランシスコ セラモンテ高等学校
  • 1975年
    1975年 17歳

    ホーリー・ネームズ・カレッジに入学

    入学 ホーリー・ネームズ・カレッジ
  • 1977年
    1977年 19歳 (大学生)

    カリフォルニア大学バークレー校経済学部の3学年に編入学

    カリフォルニア大学 バークレー 編入学 経済学部
  • 1979年
    1979年 21歳 (起業)

    米国でソフトウェア開発会社「Unison World」を設立

    シャープに自動翻訳機を売り込んで得た資金1億円を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。インベーダーゲーム機を日本から輸入し、米国で販売した。

    インベーダーゲーム機 自動翻訳機 起業 独立 Unison World 設立
  • 1980年
    1980年 22歳 (大学生)

    カリフォルニア大学バークレー校を卒業

    カリフォルニア大学バークレー校
    1980年 22歳 (実業家)

    日本に帰国、会社を設立

    コンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を博多区雑餉隈で興す。

    起業 ユニソン・ワールド 博多区 雑餉隈
  • 1981年
    1981年 23歳 (日本ソフトバンク代表取締役社長)

    「日本ソフトバンク」を設立

    ユニソン・ワールドと経営総合研究所の共同出資で福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立し、代表取締役社長に就任。

    設立 ソフトバンク
  • 1983年
    1983年 25歳

    病気(慢性肝炎)での余命宣告により社長職を退く

    創業2年目に余命5年宣告を受ける。

    健康診断で肝硬変の直前の慢性肝炎でと診断され、即入院。
    余命5年の宣告を受け、その後3年半入退院を繰り返す。絶望の中、会議に参加するため病院を抜け出して毎週会社に行っていた。主治医から叱られ、「なんのために自分の命を縮めるような行為をしてでも会社にいくのか?」と問われ、お金のためか? 名誉のためか? なんのために病院を抜け出して、命を縮めてまで会社に行くんだろうと自問したという。
    何のための人生か、何のための会社か。
    そのとき心の底から思ったのは、見栄とか、格好とか、大義名分とか、社会的に形式張ったこと、そんなものはどうでもいいと。本音でいらない。では、自分は何があったら幸せか。生まれたばかりの娘や家族の笑顔をみること。そして自分の家族だけでなく、お客さん、社員、見ず知らずの女の子。そういった人たちの笑顔のために生きたいと建前抜きに思ったという。
    そして笑顔を生きる希望に、生きる欲望にして療養生活を送っていたところ、病気が回復したという。

    慢性肝炎での入院をきっかけに一時社長職を退いたが「お金じゃ無い、地位や名誉でもない、ばあちゃんがやっていたような、人に喜んでもらえることに、貢献できたら幸せだ。どこか、名前も知らない、小さな女の子に“ありがとう”と言ってもらえるような、そんな仕事がしたい」と思い、今に至る。「おばあちゃんは、いつも、人さまのお陰だ、と言っていたことから、人を恨んだりしてはいけない」とも語っている。

    名言 慢性肝炎 病気 余命宣告 病歴
  • 1986年
    1986年 28歳 (社長)

    社長職に復帰

    社長職に復帰。以降、パソナの南部靖之、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄とともにベンチャー三銃士と称された。

    ベンチャー三銃士
  • 1990年
    1990年 32歳 (社長)

    日本ソフトバンクをソフトバンクに社名変更

    1994年にソフトバンクの株式を店頭公開。

    ソフトバンク社名変更 株式
  • 1996年
    1996年 38歳 (Yahoo! JAPAN代表取締役社長)

    Yahoo! JAPANを設立

    1996年には米ヤフー社とソフトバンクの合弁でヤフー(Yahoo! JAPAN)を設立。同社代表取締役社長に就任。
    同年、衛星放送プラットフォームの運営会社としてJスカイBをルパート・マードックが経営しているニューズ・コーポレーションとの折半出資により設立。
    マードックが会長、自らは社長に就任した。また、全国朝日放送(テレビ朝日)の筆頭株主だった旺文社から、ニューズ社との合弁会社が保有全株式を買い取り、21%の筆頭株主となった。
    ニューズ・コーポレーションと共同での経営を目的としたM&Aであったが、翌1997年3月に、当時第3位株主だった朝日新聞社に全株式を譲渡して撤退した。JスカイBは1997年にソニーとフジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)がイコールパートナーとして資本参加し、1998年にはパーフェクTV!を運営する日本デジタル放送サービス(現スカパーJSAT)と合併。スカイパーフェクTV!(スカパー!)として放送を開始した。

    Yahoo! JAPAN Yahoo ヤフー
  • 1999年
    1999年 41歳

    ナスダック・ジャパンプランニング株式会社を設立

    1999年、証券市場の開設を企図し米国のナスダック・ストック・マーケットとソフトバンクが共同出資し、ナスダック・ジャパンプランニング株式会社を設立。
    翌2000年には大阪証券取引所とナスダック・ジャパンプランニングにてナスダック・ジャパン市場を開始。

    ソフトバンクが東京海上火災保険、オリックスとともに、日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)の株式を取得。取締役に就任した。
    NTTドコモの第一期アドバイザリーボードのメンバーを1年程務める。

    ナスダック 証券市場
  • 2001年
    2001年 43歳

    Yahoo!BBの提供を開始、本業の軸足を移す

    2001年からヤフーと共同でADSL接続サービスのYahoo!BBの提供を開始。以降、ソフトバンクは、それまでのPCソフト卸・出版から通信業に本業の軸足を移すことになる。

    ヤフー ADSL Yahoo!BB
  • 2002年
    2002年 44歳

    ナスダック・ジャパンが業務を停止

    2002年、ナスダック・ジャパンが業務を停止。大阪証券取引所によりヘラクレスとして改組された。2003年にあおぞら銀行の株式をサーベラス・キャピタル・マネジメント社に売却した。

  • 2004年
    2004年 46歳

    日本テレコム買収、福岡ソフトバンクホークスのオーナーに。

    2004年には日本テレコムを買収し、同社代表取締役会長に就任。
    プロ野球球団・福岡ダイエーホークスをダイエーから買収し、福岡ソフトバンクホークスのオーナーとなった。

    プロ野球 プロ野球球団 球団 日本テレコム 福岡ソフトバンクホークス
  • 2005年
    2005年 47歳

    アリババグループ、取締役就任

    2005年Alibaba.com Corporation(現アリババグループ), Director。

    Alibaba.com アリババ
  • 2006年
    2006年 48歳 (ボーダフォン代表執行役社長兼CEO)

    ボーダフォン買収

    2006年10月にソフトバンクテレコムの社長を兼務。続けてボーダフォン(現・ソフトバンク株式会社)を買収し、同社取締役会議長、代表執行役社長兼CEOに就任した。

    ボーダフォン ソフトバンクテレコム
  • 2011年
    2011年 53歳

    東日本大震災義援金として多額の寄付

    2011年に東日本大震災が発生すると、義援金として個人で100億円および2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額を寄付することを表明し、同年7月14日40億円のみの寄付が終了した。
    さらに福島第一原子力発電所事故を受け、自然エネルギー財団を設立。『東日本大震災復興支援財団』を6月に設立。

    東日本大震災 地震 寄付 義援金
  • 2015年
    2015年 57歳

    ソフトバンクモバイルの代表執行役社長から代表取締役会長に異動

    2015年4月1日、ソフトバンクモバイルの代表執行役社長から代表取締役会長に異動した。ソフトバンクモバイルは、同時に、ソフトバンクBB、ソフトバンクテレコム、ワイモバイルの3社を吸収合併する。同年6月にヤフー取締役に就任。同年9月ARM Holdings plc(現SVF HOLDCO( UK ) LIMITED), Chairman and Executive Director。

    異動
  • 2017年
    2017年 59歳

    中国・清華大学経済管理学院の顧問委員に就任

    2017年には海外の大物経営者が名を連ねている、中国・清華大学経済管理学院の顧問委員に就任。
    同年に米ニュース解説メディア「Vox(ヴォックス)」の「Recode 100 ~ 2017年に重要となったテクノロジー、ビジネス、メディアの人々。」にて6位に選ばれた。

    同年6月、ソフトバンクグループ代表取締役会長兼社長。
    2017年12月14日、メジャーリーグサッカー参入を目指すデビッド・ベッカムの投資家グループへの参加が承認された。

    中国 清華大学経済管理学院 顧問委員
  • 2021年
    2021年4月 63歳

    ソフトバンク取締役会長を退く

    退任

引用

  • 「孫正義」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 (http://ja.wikipedia.org/) 2021年03月16日12時(日本時間)現在での最新版を取得。